シーズン中の営業時間は朝10時から夜7時まで。
41号線からは『今泉南』という交差点で富山駅からは右折となります。
昭和40年頃の包装紙
お子様を想う気持ちがなければ、愛児堂の商品は必要ありません。愛児堂を想ってくれる職人さんがいなければ、いい商品はできません。
裂地のように経糸と緯糸 この二つが織り込まれてこそ
一枚の美しく、丈夫な裂地ができます。
愛児堂のオリジナル商品の原点だと思います。
名称 株式会社 愛児堂
店名 人形の愛児堂
所在地 富山県富山市今泉西部町10-16
代表 馬渡 武英
創業 昭和 28年 6月
設立 昭和 32年 10月(愛児堂)
営業日 10月初旬〜 5月初旬は無休。
※9月は店内で天神様の準備しております。
※1月1日はお雛さま総点検の為、準備しています。
駐車場 あり。(10台ぐらい)
電話 076 - 421 - 1188
ファックス 076 - 422 - 2278
ホームページ www. a i j i do . co .jp
メール info@ a i j i do . co .jp
お店の正面玄関です。お気軽にお入りください。
柱の両脇にあるのは、わが社の番頭さんが11月にいつも持ってきてくれる自慢の菊です。
私には上手いのか、分かりませんが • • •
愛児堂は私の祖父が 60年前に設立しました。父へと受け継ぎ、私で三代目となります。みなさんからは『三代目で店をつぶす』と言われ、意地でも生き残ろうともがいております。
この仕事をして17年目になりますが、今までたくさんの人にご指導頂きました。20代の時にはお客様に叱られた事もありますし、失敗もございます。今思うと愛のあるご鞭撻だと勝手に解釈して改善してきた事が私の長所だと思っています。いずれ息子にも経験談として話そうと思っています。HPも経費削減で自ら製作し、お客様から誤字脱字、レイアウト崩れなどメールでご指摘を頂いております。素直な年齢は過ぎてしまいましたが、なんでもご意見、ご指導よろしくお願いします。
昭和28年 富山市越前町に愛する子供のためのお店というネーミングから名称 愛児堂としてオープンする。
創業当時は部品を鉄工所などから作ってもらい組立、加工し、乳母車(今でいうベビーカー)を販売。
2年後には天神様、メリー(天井にぶら下げるゼンマイ仕掛けの新生児用玩具)ボールなどを取り扱うようになりました。写真の右上の看板にウバ車のネオン文字が光ります。
愛児堂が初めて購入した、ダットサントラック(今の日産)です。卸しもしていたそうで乳母車の配達用でした。
町から3キロ離れると砂利道。冬は雪でスリップで思うように納品できなかったそうです。荷台に愛児堂のロゴが入ってます。
昭和32年ごろに富山市の中心街に店をオープンしました。
私はわかりませんが、38豪雪(38年の大雪)で2階も雪で埋まったそうです。
小さい看板に「子供用品専門」「ウバ車」「ひな人形」の文字があり、デザイン性のない看板ですよね。笑
昭和33年ごろから本格的に雛人形を販売しました。写真の左上は今は無い、御殿の中に殿と姫が入る御殿式七段飾りです。
当時のチラシを見ると16万円が高級品で、お道具もラインナップ豊富でお客様が自由に好きなものを選んでいました。
お雛さまの新聞折込です。愛児堂のロゴが家紋の横木瓜になっています。
笑話ですがこの時はこの家紋が富山県で一番多い家紋だという事が知らなかったらしいです。おひな様に家紋入れをして横木瓜の多さにびっくりしました。
『ビルディング』高度成長期の流行語でした。昭和44年に6階建てのビルが完成し、当時はエレベーター、エスカレーターが珍しく、たくさんの人が見に来られたそうです。
当時、1階はファミコン 2階はプラモデル 3階4階は天神様やお雛様、五月人形を扱っていました。
エレベーターは一回計算 100円かかると祖父に言われ、毎日汗渋って階段を登っていました。 写真は昭和45年
富山市の大イベント 山王祭りはたくさんの露天商さんが道ギッシリ並び、子供が歩くと人の頭しか見えないほどで総曲輪通りの土日もこんな人ごみでした。
愛児堂の真ん前が歩行者天国にもなり、子供のころは6月1日が待ち遠しく、この日だけはおこずかいとして、1,000円札をもらい自由に使える特別な日でした
時代が変わり、大型駐車場を完備した全国チェーンが郊外に続々進出し、平成 1年 スプリンクラー設置義務、郊外発展化、玩具の変化などにより郊外移転を決断いたしました。駐車スペースの無かった弊社は平成2年11月に現在の今泉西部町に新社屋を開店する事となり、北日本新聞さんがTOPニュースに『愛児堂移転』という記事で取り上げて頂きました。一番町社屋時のご来店、誠にありがとうございました。また現社屋のご来店もお待ちしております。