花イメージ

行ってきました。節句の旅

宮島行きのフェリー


一時間に4本ぐらい船があるので、あわてなくて大丈夫です。宮島口からフェリーで約10分で宮島桟橋に着きます。金額は大人200円ぐらいだったと思います。車はフェリーに運搬できませんのでご注意を。

駐車場はJR宮島口から海側の「もみじ本陣」という大きいおみやげ屋さんのすぐ東側に位置する(競艇場の西側)大きい駐車場が一番フェリー乗場に近いです。

 

この大鳥居の2本の太い柱は楠の自然木で、柱を支える4本の支柱は杉の木でできているそうです。
この朱色の塗装は丹塗といって硫黄と水銀の化合した赤土から採取する伝統的な天然塗料らしいです。

 

店の商品で本漆塗をしていますが木の肌地調整して下塗、中塗、本塗しますが、この鳥居は海水、風、雨、虫という自然にも耐えなければならないため、多分倍以上の行程があると思います。それでも塗りが浮いてくるのですから重要文化財の管理費も相当な経費ですね。

 

「田吉月六干両午丙年伍拾文天」を後から読むと「天文十五年丙干六月吉田」となりますが十五年六月はわかりますが「丙」「干」が何の事かわかりません。「吉田」は天文9年(1540年)から天文10年(1541年)まで安芸国吉田周辺で行われた、毛利元就と尼子詮久の合戦があった場所で同じ広島ですし地名では無いかと推測しています。

 

※平家納経
平清盛や平家の人々が平家の繁栄などを願いお経を書き写したといわれる豪華装飾巻物で金桐箱に入った奉納品であり国宝。(こんな解説で申し訳ありません

※彩絵 檜扇
岩絵具で描いた彩絵のひのきの薄板を繋ぎ合わせた平安時代の女性が持つ扇子。

 

 

 

幻の城 安土城

フェリーで宮島へ 4回目の歴史探究(レベルが低い)は修学旅行でも有名な広島県の宮島です。さて「宮島」と聞いて何を思い浮かべると、まず大鳥居、しゃもじ、もみじ饅頭、宮島水族館といった所でしょう。私も中学の修学旅行で行きましたが大鳥居しか覚えていません。しゃもじはおみやげで買いましたが、もっと真剣に厳島を見学しておけばと後悔しております。

 

しか~し この家業を継いだからには人形屋として奥の深いレポートをしなければなりません。なにを隠そう、ここには鎌倉時代の国宝の甲冑が眠っているのです。

 

国宝の甲冑は十数領ぐらいありますが(数少ない) 主に奈良県春日大社、青森県櫛引八幡宮、愛媛県大山祇神社 そしてこの宮島の中の厳島神社に展示してあるのです。たぶん国宝だけで三領あるはずです。どこかの博物館に貸し出ししていなければ。

 

経験上、遠くの博物館に見に行かれる際はきちんと下調べして電話で展示内容を確認することをおすすめ致します。なぜなら私が大失敗しているからです。「・・・所蔵」ってありますが、あの伊達政宗の仙台博物館でさえ春に3週間、秋に3週間ぐらいしか伊達政宗を展示していないんです。話が横道にそれましたが厳島神社の報告をしていきたいと思います。

廿日市付近のイラスト地図 瀬戸内海は穏やかで神秘的でした。

 

大阪から約4時間で広島県に入りましたが山陽自動車道は時々見える瀬戸内海が地元の日本海の荒波と違い、穏やかで小さな島々との風景と相まって、神がいそうな神秘的な海でした。


宮島に行くには廿日市JCTの手前の宮島スマートICを利用(ちょっと節約)するとあとは国道2号線で10分でフェリー乗場の宮島口に到着します。

鹿がお出迎え 宮島到着宮島桟橋に到着

 

フェリーで約10分。宮島桟橋に到着すると、駅の構内みたいに近代的で、外に出ると広い石畳の自然公園のような景色がどーんと視界にとびこんできます。広場で鹿(野生)が何匹も歓迎してくれ食べ物が無いか、匂いをくんくん嗅いできます。私の息子はちょっと怖くて直立不動でした

海に浮かぶ大鳥居

海に浮かぶ大鳥居

宮島桟橋フェリー乗場を出て右側を進み、旅館やおみやげ屋、お食事処が建ち並ぶ通りを5分ぐらい進むと見えてきたではありませんか!朱色の大鳥居です。かっこいいです。まるで映画の陰陽師の撮影現場のようです。残念ながら行った日は干潮だったので大鳥居の根本まで見え、痛み具合が痛々しい感じでした。


平安時代から8代目の大鳥居ですから、1000年計算で8で割るとなんとこの鳥居は125年維持しなければなりません。9代目のでっかい樹齢何百年の楠の大木を今頃、日本のどこかで探しているのでしょうね。よく写真で見る海に浮かぶ鳥居もいいですが干潮のおかげで表面も見れて大満足でした。

国宝の本殿と廻廊

国宝の本殿と廻廊

中央の立派な建物が本社本殿です。木の床でできた廻廊を通って本殿にたどりつきます。廻廊は幅4mで全長が275mもあるんですよ。

満潮時にはこの廻廊の下50cmまで海水が上昇するそうで、是非この景色をみたかったのですが、行かれる方は満潮時期を調べてお出かけください。

国宝 高舞台の高欄国宝 高舞台の高欄

 

本殿前にある、舞楽の舞台です。ちょうどプロレスのリングぐらいの広さです。朱塗りの高欄(写真の朱色の手すりの部分)の角に銅製の頭(擬宝珠)に文字が掘ってあります。


「田吉月六干両午丙年伍拾文天」とあり六千両で建てられたと思っていたが左からではなく右から読むと「天文拾五年・・六月」とビンゴでした。宮島の事を調べると天文15年(1546年)棚守房顕(厳島の統治を任された人)によって作られたそうです。

国の重要文化財の能舞台国の重要文化財の能舞台

 

10年程前、台風の影響で厳島神社が部分倒壊したニュースを覚えていらっしゃいますか?あれって台風と満潮が重なって、あれだけの被害になったんでしょうね。なんと もう平成3年の話だそうで古材を再利用し、平成6年に再建されたそうです。この能舞台は1605年にあの福島正則公が寄付したそうです。

厳島神社宝物館最終目的の厳島神社宝物館

 

とうとうやってきました。

厳島神社宝物館です。この中には平家納経や錦包籐巻太刀、小桜韋黄返威鎧、浅黄綾威鎧、彩絵 檜扇(ひおうぎ)など平安時代から鎌倉時代にかけての国宝や重要文化財が数多く収蔵されています。

足早に門を通り入場券を購入し中へ入ると館内は薄暗く、レプリカも多いという噂もありましたのでシャッターを使わなければ撮影できるかなという淡い期待を持ったのも、残念な事に撮影禁止の張紙がございました。常駐の女性にお客様が少なくなった時に頼もうかと思いましたが、一向に減る気配は無く断念しました。

 

とうとうございました。甲冑が。まず小桜韋黄返威鎧で、その裏に黒革威胴丸です。戦国時代の甲冑はよく見ているのですが鎌倉時代の甲冑はこれが初めてなんです。この頃の甲冑はシンプルなんですけど近づくと、とても豪華なんです。小桜韋黄返威鎧は源為朝所用(義経公のおじさん)と伝えられ、厳星鉢(兜の鉢)の星鋲(鉢のたくさんの突起物)が大きく騎馬武者ならではの男らしい甲冑でした。

浅黄綾威鎧イメージ残念、無念

 

なんと悲しい事に一番見たかった「浅黄綾威鎧」が無いではありませんか。すぐ受付の男性に聞くと、ある期間にしか展示していないそうなんです。ですからこのページの冒頭でもお伝えしたように博物館に行かれる際は展示内容を確認・・・となった次第です。残念です。私はあきらめません。いつの日か必ず見に行きたいと思います。

 

どんな鎧かというとレプリカの写真で申し訳ありませんが(写真右)鎌倉時代中期から末期のものでバランスもよく端正な造りで小札は黒漆塗、腹廻りは牡丹獅子の革染め、兜は鍍銀(銀の鍍金)の四方白、細長い鍬形(兜の長い角)など、小桜韋黄返威鎧が「剛」とするなら、これは「美+柔」なんです。

安田靫彦画伯が描いた「黄瀬川陣・義経参着図」の義経像の鎧にもそっくりで戦国時代にはない繊細なデザインです。鎌倉時代は不明な点も数多くロマンを感じさせる貴重な甲冑ばかりです。今後は奈良県春日大社、青森県櫛引八幡宮、愛媛県大山祇神社の甲冑とこの「浅黄綾威鎧」のリベンジを考えております。是非、これからも節句の旅をよろしくお願いします。