管理小屋から100mぐらいで右側に前田利家邸と左側に羽柴秀吉邸跡があります。敷地はそんなに広いとは思いません。70坪ぐらい。二人で門をがっちり守っていたのでしょうか?
天守閣跡で いっぷくしていると、50代のご夫婦もいらっしゃいました。奥さんの話ですと旦那さんに無理矢理連れてこられたとの事。(僕といっしょですけど)その旦那さんによると右の写真の奥に見える田んぼや畑は昔、琵琶湖だったそうです。ということは安土城は湖にぽっかり浮かぶ要塞だったんです。みんな歴史が好きなんですね!
仁王門で最後となった安土城見学だが石段も終わり、駐車場に向かって歩いていると大きな樹齢何百年という木が倒れているではないか。木の割れ目を見てると草刈り機を持った60代後半の男の人が現われ、「突風でたおれたんじゃよ」と教えてくれた。
何でも管理している人で安土城の事を根掘り葉掘り聞くと、帰りに「信長の館に行ってみなさい」との事なので早速 行く事にした。
場所は安土城跡から車で5分
「文芸の郷」内
六階の部屋の小さな光はカメラのフラッシュではありません。
「信長の館」の関係者様へ
2枚写真を撮影しました。フラッシュはたいていません。ごめんなさい。
でも、すごい迫力です。ぜひ信長好きは一見の価値有りです。
五月の鯉のぼりシーズン、ゴールデンウィークが終わると人形屋さんは一息つく事になる。夏の間は来年の商戦に合わせ、職人やメーカーさんに商品を見に行くが 半年以上、休暇をとっていないので2日間は家で ぼーっとする事にしました。
その休日、漫画を読みあさったのは「花の慶次」という隆慶一郎先生の歴史小説「一夢庵風流記」を原作とした、原哲夫先生の歴史漫画です。初めの3冊を読むとはまってしまって中古本で全部揃えてしまいました。前田慶次、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など豪華キャストです。
その3週間後、出張で京都、大阪へ行き その帰り道、ふと安土城ってここらへんだよなぁと思い地図を広げると安土城跡と書いてある。まだ昼前だ。即、竜王インターを出て北に車を走らせた。看板に安土城跡の文字。
竜王インターから20分ほど走り、町を抜け山が見えると左側になんと数えきれないくらいの石段があるではないか。車を砂利の駐車場に入れ、石段の入り口に近づくと管理小屋があり500円を支払い、杖を借りて妻を説得して頂上まで行く事に。6月下旬にもかかわらず 気温は30度近くあります。杖を借りて良かったわ。汗しぶってひ~こら。妻かんかんです。
写真左側が大手門左側の羽柴秀吉邸跡。写真右側が大手門右側の前田利家邸跡。
私は富山県なので佐々成政邸跡を探したのですがありませんでしたね。残念。
出世コースから外れてしまったんですかね。
右の写真は秀吉邸跡をまっすぐ進み、左に曲がるように道なりが続き、更に今度は右にカーブした所ぐらいにひっそりと見つけました。森蘭丸邸跡の文字が(右側の石碑)。もう少しで本丸という場所です。信長公の一番信頼できる人なんでしょうか?でも今は荒れ地になって、ちょっと寂しい感じです。
疲れました。石段を登って15分。とうとう本丸跡です。この石は何だ?あとでわかったんですが、本丸の柱を固定する基礎石だそうで碁盤の目のようにきれいに並んでいます。でも敷地いっぱいに御殿が建てられていたんでしょうか?消防法に違反ですよね。
天守閣跡地から見た琵琶湖北側。(左奥が大津の位置)
この眺めはすごいです。歩き疲れてのこのパノラマ、感動でしたよ。安土城は5階建てらしいから僕の立っている高さから5階建てのビルがそびえたっているんですから、大津市だって大阪、堺の港も見えたんじゃないですかねぇ?おそるべし天下人。信長さんが天下をとっていたら、滋賀県が日本の首都になっていたかも?
・ 赤い丸が本丸や天守閣があった地点
・ 黄色の丸が秀吉、利家邸跡
・ 上のパノラマは矢印の角度から撮影
・ 水色の部分は湖でしたが、今は田んぼです。
・ Pは車を停めた駐車場。
・ Pの西側には船着場だったそうです。
上の写真の二つのポッコリ山は地図イラストの安土山の文字あたりです。信長公は船と陸路を使って京都まで行ったのではないでしょうか!(違っていたら、ごめんなさい)
本丸、天守閣跡を見学すると後は帰り道。来た道を外れ右側が見学ルートになります。この辺は蜂の巣が多く、ちょっと危険です。白っぽい服がおすすめです。
この三重の塔付近は当時、寺があったそうで寺の敷地一番隅の三重の塔と仁王門だけが焼け残ったそうです。木肌が悲鳴をあげているようだった。当時の木造建造物ってすごい!
本更に石段を下ると風景とベストマッチな門がお出迎えです。仁王門だそうです。門の両端には怖そうな顔の木像が仁王立ちしています。悪い者はこの門を通させんという感じに。京都の北野天満宮の門の番人よりも怖い顔だ。
この二つの建造物は、織田信長公の顔も知っているし • • •誰が出入りしていたかとか • • • 安土城建設から焼失の原因まで一部始終、知っているに違いない。(所在地は上の安土マップの青色●地点)
安土城跡の草刈り機のおじさんに信長情報を教えてもらった私は、またまた妻の反対を押し切り「安土城天主 信長の館」に向かった。まさか、「天守閣がこんな所に」計画もたてずに来た安土町ツアーになんて充実した一日なんだろうと昼食を食べるのも忘れていた。
「信長の館」に着くとまず目に飛び込んでくるのは復元された黄金と朱色の天守閣だ!
どうしてこんなものが実在するかというと加賀藩の大工に伝わる設計図が発見され、1992年にスペインの万国博覧会に出展するため、すごい人達が原寸大で復元し万博が終わって安土町が譲り受けたそうです。
この赤い柱部分が五階部分になり、上の金箔部分が最上階の六階になります。内装は金箔にお釈迦様というか、天女様が飛んでいる絵がほとんどです。
五階は八角形の造りだが六階は正方形で五階よりは落ち着いた雰囲気だが、なんせ派手。私はこの部屋では絶対寝れません。
金箔が両階共、張りめぐらされ よく金箔に絵の材料が付くもんだなぁと思う。普通は金箔は、はじくんだけどなぁ?
館内にはこの他にも安土城の復元ビデオや宣教師が書いたといわれる織田信長公の自画像、当時の50分の1スケールの安土城建築風景の模型やら離れられなくなるブースばかりで 結局、感動しまくりで「信長の館」には閉館の5時近くまでいました。
そして歴史探究心に火が付いたのは言うまでもありません。今度は予告ではないけど豊臣秀吉の大阪城ぐらい行きましょうかねぇ。お楽しみに待っていて下さい!
その前に付き合わせる妻を歴史好きにさせなくては・・・